あなたとわたしを守るため

しゃけのかわと申します。シングルマザー/保育士(兼学童)/帰国子女/躁鬱×ボーダー/元夜職/ジシ遺族。ブログの記事は ◇→私の記録、◯→保育士の思い、★→その他 という分類で書いています。

◯24時間保育園(夜間保育)

私は24時間運営の保育園に勤めています。

ここで働こうと思った理由は
「子育てしにくい環境の家庭に寄り添いたい」
と思ったからです。


一概には言えませんが
夜間保育を必要としている家庭は
日中の保育園に通う親子よりも
子育てに困難な場合が多いです。

・夜に働いている
・ひとり親で育てている
・病気や怪我を患っている
・頼れるところがない

そんなお父さんお母さんが
駆け込み寺のように
夜間保育の門をたたいてくれます。


私たちは思います。
「ここに来てくれてありがとう」
と。


子どもは決して
親一人で育てる義務はないと思っています。

家族や知人、地域のサポートを受けながら
たくさんの見守りの中で
たくさんのひとに愛されて
子どもは育つのです。

お父さんお母さんがSOSを出せずに
心身健康に育てない子どもが
世の中にはたくさんいます。

そういう子どもたちを
一人でも救えるように
私たちは働いています。



24時間保育園(夜間保育)の日課はこうです。


朝早くから登園する子もいれば

昼間の保育園の子が
活動を終え、昼食を終え、午睡に入る頃
やっと登園してくる子もいます。


昼間の保育園の子が
パパママのお迎えを待つ頃
夜間の保育園の子たちは
あたたかい夕食の時間を待ちます。


夕食が済むと
のんびり遊んだり、テレビを観たり
家庭と変わりのない時間を過ごし
お風呂に入ります。

おうちでも保育園でも
お風呂の時間は貴重です。
子どもも大人もゆったりと
今日の出来事を振り返ります。


そして、21時頃
もしかすると家庭よりも早い時間に
夜間保育園の子はお布団に入ります。

絵本や子守唄を聴きながら
優しくトントンされながら

パパやママを思い出して
ちょっぴり寂しくなるけど

目の前の保育士に見守られ
周りにいる友だちに囲まれ
静かに夢の世界へ…


こうして
深夜や明け方のお迎えを
夢の中で待つのです。

※子どもの中には
夕食前、お風呂前、就寝前に
お迎えが来る子もいます。


どうでしょう。
夜間保育に預けられる子どもは
可哀想だと思いますか?



考え方は人それぞれなので
この記事はここまでにします。

職場のエピソードは
いくらでもあるので
また書いていきます。



夜間保育に預けられる子は
とっても幸せだと信じています。

◯子育て支援の配信

私が登録している配信サイトで
私は「子育て支援枠」を設けています。


保育・学童・母親・ひとり親・障害者

私のプロフィール
ひとつひとつの経験と知識を
少しでも共有したいという思い

発信していくことで
リスナーさんの考えを聞くことで
自分の学びをますます深めて
将来やりたいことへ
近づけるのではないかという思い

それがあって、配信をしています。


私がやりたいことは
「あなたとわたしを守ること」

ブログのタイトルも
この思いからつけました。


今後の記事では
配信の記録も書いていきます。

◇夜のお仕事

記事にする約束をしたところから
徐々に消化していきます。

書き直すことがあるかもしれませんが
概要は変わりませんので、ひとまず。



初めて夜の仕事を経験したのは
専門学校時代のカフェバーのバイトでした。

大人な空間、大人との会話、大人なお酒…

その全てが私を魅了して
どんどん夜の世界にはまっていきました。


同じ系列で様々なバーで働きました。
ビアバー、ワインバー、ガールズバー
最終的にはガールズバー歴が最長でした。

お酒を交わしながら人と接することは
当時の私は天職だと思っていました。

保育士の学校に通いながら
保育士として働くイメージは持てず
次第にラウンジやキャバクラにも
在籍するようになりました。



母の病状が悪化し
専門学校卒業と共に
地元に戻ったのも束の間

母が命を絶ち
当時の職場にも馴染めず
すぐに夜の世界に戻るまで
たった半年ほどでした。

私には貯金も住む家もなかったので
スーツケースひとつに荷物をまとめ
地元から関西へ二度の出稼ぎをしました。

寮暮らしをしながらも
どんどん貯まっていくお金だけが
私の生きがいと拠り所でした。


家族も、仕事も、地位名誉も
その頃の私には
守るものが何もありませんでした。

明日しんでもいいと思いながら
目の前のお客さんと疑似恋愛をし
リスクと引き換えに
高額な代償を頂いていました。

保育士のお給料の10倍。
頑張れば20倍でも30倍でも
稼げるような環境でした。



私は当時も今も
夜の仕事に誇りを持っています。

そこには、需要があるからです。

需要がある仕事には
必ず意味があると思っています。

たとえそれが世間から
よい印象、よい評判が得られなくても

私はマイノリティな需要こそ
守っていきたいと思っていました。



夜の世界には
昼の世界では得られない
癒しがあります。

それは儚くて
一晩で消えてしまうこともあるけど

それは恐ろしくて
一晩で依存してしまうこともあるけど

その世界がないと
生きられない人もたくさんいます。

私もその中の一人でした。



そしてその世界で
新しい希望を見つけたのです。

それが「夜間保育」でした。

◇どうしようもない

精神疾患のしゃけに
よくかけて頂く言葉


「大丈夫?」

「無理しないでね」

「自分を大切にね」

「考えすぎちゃダメだよ」

「なんでも頼ってね」

「明けない夜はないよ」


などなど



どの言葉も
しゃけも何度も口にしてきた



だけどね


大丈夫じゃないし

無理しないと生きられないし

自分なんかいらないし

考えは止まらないし

頼るほうがしんどいし

この病気は治らない



だからね


そういうときは
とりあえず笑っとくんだ


不謹慎な冗談で

「しにたいー!!」

って言いながらね

★お久しぶりです

ご無沙汰しております。


3日坊主のしゃけが

あれだけ記事を書けたのが

むしろイレギュラーですね。


今までこのブログは

「しゃけのかわ記録」

しゃけの過去の出来事や

現在の歩み、将来への思い

などを書き連ねていました。


今後はその記録も続けつつ

本業である保育士の経験を生かし

微力ながらも

お父さんお母さんの

支えになれたらと思っています。


今後は

しゃけ記録が「◇」

保育士の思いが「◯」

その他の記事を「★」

で書いていきますね。


よろしくお願いします。

今後書いていきたいこと

ブログの更新が滞っていたのは
書くことがなかったからではなく
書きたいことがありすぎて
整理がついていなかったためです。


今後書いていきたいことは

  「離婚と家族について」

  「夜のお仕事」

  「認知行動療法とは」

  「退職寸前ラストチャンス」

  「30歳のイヤイヤ期」

  「思考の障害者」

以上6本となっております。



さぁ、どこから書いていこうかな。

秋田

※この記事にはショッキングな表現が含まれます。
苦手な方は閲覧にご注意ください。



明けました。
昨年は自分自身と向き合い、受け入れ、一歩踏み出すことのできた一年でした。



お正月は雪に埋もれた秋田で迎えております。
ここはもともとおばあちゃんの家、パパの実家です。


ママはここで首を吊って死にました。


思い出したくない、思い出す必要のない記憶でも、今はそれをちゃんと抱きしめたい。
苦しかったママの痛みも、悲しみも、苦悩も、葛藤も、全部かき集めて。




今日はおばあちゃんに会いに、施設へ行った。
入れないと知りながらも、顔を見ずにはいられなかった。

窓越しの面会、電話で話すだけ。
それでも目の前でおばあちゃんと話せるのが嬉しくて嬉しくて、マイナス6度の屋外から時間の許す限りずっとずっと言葉を繋いだ。

電話を切り、施設スタッフの人が一瞬目を離した隙に、サッと窓を開けて少しだけおばあちゃんの膝に触れた。
逃げるようにその場を去りつつ、一瞬振り返ると、窓越しにスタッフが慌てておばあちゃんに消毒スプレーを振りまいていた。
当然のこと。非常識で迷惑なことをした。

帰りの車で、涙を我慢することができなかった。
大好きなおばあちゃんに指一本触れられない。

昨年は、おばあちゃんのお兄さんが、その1週間後に弟さんが、突然亡くなった。
おばあちゃんにだって、あと何回会えるかわからない。
もう二度とハグすることはできないの?
あったかい手を握り返すことはできないの?




ママがみずから命を絶ったこの家で、おばあちゃんの心も感じながら、一人で飲むお酒。

日本酒は辛口でも甘い。


この町は、寒くても温かい。