優先順位とメモ魔
とにかく、優先順位がつけられません。
私にとって大きいことも小さいことも、やりたいことは全て同じライン。
100か0かの考えが強すぎて、やるなら全部100でやりたい、それができないなら何もやりたくない、という極端な思考になってしまうのです。
仕事も家事も育児も、自分が納得できるレベルじゃなきゃ認められなくて、一つでもうまくできなくなると全てのやる気を失ってしまいます。
心理学ではそれを「全か無か思考(完全主義的思考)」
と言うそうです。
そんな私のひそかな自慢は、約11年間、毎日かかさず日記をつけていること。
何年何月何日に何してた?と聞かれればすぐに答えることができます。
なぜ続いているのかと言えば単純で、日記を書かざるを得ない、つまり日記を書くことが強迫観念となっているからだと思います。
そのせいか「メモ魔」となり、日記だけでなく、やることリスト、買い物リスト、娘の発言リスト、仕事メモ、カウンセリング用メモ…etc
膨大な量をメモしているのですが、いかんせん優先順位がぐちゃぐちゃなので、何から手をつけたらいいのか、どのメモが大切なのかわからなくなり、自分でパニックに陥り、不安症発動。
結局自分で自分の首を絞めております。
優先順位がつけられないことは、日常生活にも仕事にも支障をきたすので、早く改善したいところ。
ですが、思考の偏りによってそれが難しいので、カウンセリングにて「認知行動療法」を続けているのです。
「認知行動療法」については、また別記事で紹介させて頂きますね。
クリスマスに思うこと
ぶっ飛んでいるときも自分。
どん底にいるときも自分。
一体何年自分と付き合ってるんや。
そろそろどっちの自分も受け入れて
人生楽しんでいかないと。
2022年
他力本願な生き方はやめて
自分で道を選んでいこう。
知らんけど。
LINEに雪が舞う頃
クリスマスってまだ終わってなかったっけ?
って思うくらい、今年は12月が長く感じますね。
我が家はハロウィンが終わったら、11月からツリーを飾るので余計にです。
気分はもうお正月。
何年ぶりの、パートナーがいないクリスマスでトキメキもないからかな?
「もうすぐクリスマス♡」より
「クリスマスやっとくる…」って感じ。
欧米の雰囲気に憧れて、ツリーの下はプレゼントでいっぱいに埋め尽くしたい派。
今年もサンタさんとママから、そして家族やお友だちからのプレゼントを盛り盛りにセットして、いくらに喜んでもらえたらと思います(*^^*)
今日は弟がくれた海老芋で肉じゃが風を作ってみました。
全然美味しそうに見えないけど、海老芋とろとろで、お出汁もいい感じで、上出来だったのよ。
専業主婦、絶対向いてないけど、誰か養ってくれないかなぁ・・・
記事の整理
夜中に酔っ払って上げた記事もあるので、本日一通り書き直しました。
相変わらず読みづらい文章ですが、少しずつ書き方も勉強しながら、皆さんに伝わる記事を書いていけたらと思います。
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いつもありがとうございます。
しゃけのかわ
双極性障害(躁鬱病) 後編
気分によって思考や行動が極端に変わる双極性障害。
私の身体にもさまざまな変化が現れるのですが、特に気になる謎の症状が二つあります。
一つは、抑鬱状態のときに発症する「食道のあたりの違和感」
喉ではなく、胃でもなく、ちょうど鎖骨の下あたりの管が焼けるように痛むのです。
「咽喉頭異常感症」という病気に近いのかもしれませんが、私の場合は位置と痛み方が違います。
酷いときには唾液を飲み込むこともできず(燃えている箇所に油を注ぐイメージ)、夜な夜なお風呂場にしゃがみこんで、唾液を垂れ流していることもあります。
病院でも喉周辺の異常は見られず、ストレスによるものとの診断。
あれほどの痛みがただのストレスとは、到底納得いかないけれど…
※追記:後日「逆流性食道炎」と診断されました。
もう一つは、躁状態のときに起こる「寒さや暑さを感じなくなる現象」
真冬のディズニーシー(ランドよりシーのほうが寒いと言いますよね)での日暮れ時、みんながコートやマフラーを押さえて震えている横で、私は「コート必要かな?」と思うくらい寒さを感じませんでした。
そして帰りの新幹線では、暖房と人の多さで車内の温度は高く、同乗していた友人は若干汗ばんでいたのですが、私はコートを脱ぎ忘れていたにも関わらず、何も暑さを感じませんでした。
これもまた不思議な症状ですが、実際困ることは何もないので、あまり気にしていません。
双極性障害は、その両極端な状態によってあまりにも体質や考え方が変わってしまうため、自分自身が二重人格かのように感じることもあります。
躁のときには、とても行動的で前向き、人にも明るく振る舞い、計画性や実行力もばっちり。
誰彼構わず連絡を取り、SNSでは異常なほど発信を繰り返し、自己アピールが増します。
自分が最高の人間になった気がして、急に夢を語り出したり、大きな挑戦をしようとしたりもします。
鬱になると、何もかもが否定的になり、行動力ややる気は一気に削がれ、ひたすら引きこもります。
誰とも連絡を取らなくなり、SNSなどのツールも抹消、全ての人の前から消えたいと思うようになります。
自分がなんの価値もない人間な気がして「死にたい」よりも「どうやって死のうか」などと本気で考えるようになります。
恋愛においては、
躁のときはあまり人に執着しないので、妙に好かれることが多いけど、こちらからお断り。
鬱のときは、こちらが依存しすぎるせいで関係悪化、お別れ。
そして相手にも、躁の一面、鬱の一面どちらかしかわかってもらえない場合、必ず反転したときに「え?思ってたんとちゃう」となり、終了。
そのため、いつも交際は長く続かず、恋愛するタイミングが掴めないなぁと思う今日この頃です。
このように、自分の両極端な人格に振り回されてきた人生ですが、そのお陰か、いろいろな人の考えに寄り添えるようになりました。
いつかこの経験を生かして、困っている人をサポートする仕事ができたら…
そのために、まずは自分自身の治療に専念することを決めました。
今日の私と冬至
2週間前にお薬を変えたせいか、しばらく躁モード全開で負荷がかかりすぎていたせいか、先週末からドン鬱に突入している私です。
神田沙也加ちゃんのニュースに「子どもがいなければいつでも死ねるなぁ」と不謹慎なことを本気で考え、
夜はアルコールを控えられず、
朝は動悸と震えと胃痛に悩まされ、
仕事に出られず、娘を保育園へも連れて行けず、
ひたすら家にこもり、最低限の生活を守るのに必死でした。
いよいよ限界に達すると、何もなくても涙が出てくるようになり、あまりに無気力で、水を飲んだりトイレに行くのすら億劫になってきます。
そんなとき、いつも無言のSOSを察してくれるのは、私のたった一人の弟。
在宅ワークの彼は、結婚を機に東京から松本へ引っ越したのですが、離婚のときや姉のピンチにはいつも一番に駆けつけてくれる救世主です。
そんな彼が昨晩電話で私の状況を知り、夜通し車を飛ばして我が家に来てくれたのです。
朝にはいくらを保育園へ送ってくれ、仕事がひと段落すると、ベッドから出てこない私を無理やり外に連れ出してくれ、一緒にランチして、また私を寝かせてくれました。
おかげで半年ぶりくらいにぐっすり睡眠がとれ、気付いたら13時間くらい寝ていました。
夕方いくらのお迎えと買い物にも車を出してくれ、いくらとお風呂を済ませ、私には一人でゆっくりお風呂に入る時間を与えてくれました。
今、お風呂からこのブログを書いています。