あなたとわたしを守るため

しゃけのかわと申します。シングルマザー/保育士(兼学童)/帰国子女/躁鬱×ボーダー/元夜職/ジシ遺族。ブログの記事は ◇→私の記録、◯→保育士の思い、★→その他 という分類で書いています。

◇生きがいを失いました

昨年、
3ヶ月の傷病休暇をもらい
2ヶ月の休職(無給)をもらい

あと1ヶ月休むとなると
就業規則として
(健康ではないとみなされ)
仕事は継続できない

そう宣告されていました。



仕事だけが生きがいでした。

配信やブログでも
子育て支援をするのが夢
孤独なパパママを救いたい
と言い続けていました。

仕事のためになんとしても
自分の病気を治療して
責務を全うしようと
思っていました。



でも、ダメでした。

病院を変えて、お薬を変えて
なんとか安定していた4ヶ月。

やっぱりまた
どん底に突き落とされました。



娘のために
夢のために
思えば思うほど

根拠のない不安
どうしようもないパニック
悪化する強迫性障害
に襲われて

心は崩れていきました。



そしてついに
職場から
退職を突きつけられ

積み重ねてきたものを
全て失いました。



生きがいを失くしました。

家賃補助がなくなり
家も失うことになります。

入院を勧められるほど
精神も追い込まれています。



不眠、食欲不振、パニック
症状が悪化している今
一人で娘をみることに
限界を感じています。



ここ数日は
動くこともできなかったけど

明日は
区役所への相談
母子寮の見学
行ってこようと思います。





娘のために。

夢のために。

◇思考の障害者とイヤイヤ期

前記事で紹介した
によってわかることは


私の抱える『双極性障害』は
「こころの病気」
ではなく
「思考(脳)の病気」
だということです。




人は誰しも
気分が高揚したり
逆に落ち込んだり
アップダウンがあると思います。


その振り幅が極端に大きく
自分でコントロールすることができず
日常生活に支障をきたす病気です。


双極性障害』の記事はこちら↓




そんな私は
自他共に認める天邪鬼です。


「〇〇したほうがいいよ」
と言われれば意地でもしない。

「〇〇しちゃダメだよ」
と言われたら無茶でもする。


自分を認めて欲しくて
構って欲しくて
あちこちにアピールするものの

アドバイスや慰めの言葉には
少しも揺れ動かない。




他人に助けてもらうのは
イヤイヤ。


自力で頑張るのも
イヤイヤ。


構ってくれないのは
イヤイヤ。


構われすぎると
イヤイヤ。



我ながら
魔の2歳に負けない
イヤイヤ期だと思います。


そんな自分を情けなく思いつつも
15年間
このイヤイヤ期を引きずっています。

◇認知行動療法

私がカウンセリングに通うのを
「学校に行く」
「研修を受ける」
と感じるようになった訳は
そのカウンセリング内容にありました。




ただ相談を聞いてもらうわけではなく


自分の感情を振り返ったり

そのときの思考を整理したり

思考の偏りについて考えたり

感情→思考(認知)→結果(反応や行動)
という回路を学んだりする


つまり
自分自身の中で起きていることを
一つずつ見つめ直して
自分でその結果を分析する

そんな内容でした。




最初のうちはそれが新鮮で
自分のことがわかればわかるほど
気持ちが楽になっていったのですが

徐々に
いくら学んでも
それが直接改善に繋がらない
もどかしさに苦しむようになりました。



十数回ほど通ったのち
私はカウンセリングに通うことに
気が重くなってしまい

つい1ヶ月ほど前に
カウンセリングを辞める(お休みする)
ことにしました。




精神疾患を持つ方に
或いはそうでない方にも
一度は受けてみることをお勧めする
興味深い内容ですが

今すぐ救われる道を求めていた私には
想像していたものとギャップがあり
続けることができませんでした。




この記事に関しては
私の説明では不十分かと思いますので
最後に「認知行動療法」についての
資料を添付します。





◇カウンセリング

精神疾患を持つ方のほとんどは
薬物療法とは別に
「カウンセリング」を勧められます。

私も例に漏れず
それを勧められてきました。




初めてカウンセリングを受けたのは
高校1年生で不登校になったとき

母親につれていかれた心療内科紹介された
院内に併設されているカウンセリング室。

最初は自分の気分や思考を聞かれたり
過去に印象的だったこと
自分の将来をどう考えるか
などを話したりした記憶があります。

その頃の自分は病気を認めることもできず
カウンセリングは無意味だと感じ
通い続けることはありませんでした。




二度目にカウンセリングを
受けることになったのは
17歳でアメリカに住まいを移し
現地の高校も不登校になったとき

駐在日本人繋がりで紹介してもらった
日本人のカウンセラー。


ふっくらした体型で優しい声
40代くらいの女性の先生

私はその先生の人柄が好きで
カウンセリング内容は気にせず
他愛もないことを話すだけに
毎週通っていました。


いま思えば
当時は現地の心療内科にも通い、
(ロシア人のイケメン先生だったのを覚えています)

毎週のカウンセリングも受けていたので、

当時両親はかなりのお金を
私のために費やしてくれていたと思います。




そして
つい最近まで通っていたのは
近所の大学の構内で受けられる
講師の先生によるカウンセリング。

ここはかかりつけの病院ではなく
役所の保健福祉課で紹介してもらいました。


私の担当をしてくれた女性の先生は
柔らかい笑顔とは裏腹に
感情がないのかと思うくらい
ロボットのような対話をする方でした。


このとき私は初めて
向き合うことになりました。


私の月2回のカウンセリング通いはまるで
「学校に行く」
「研修を受ける」
そんな感覚でした。



次の記事で
認知行動療法」について
書いていきます。

◯保育士あるある

<保育士あるある>



匂いで子どもを識別できる


実習生のお姉さんのほうがモテる


卒園するときに親より泣く


絵本読むとき何役も声変えれる


子どもたちの寝かしつけのクセ習得


と言いつつ午睡はただ睡魔との戦い


乳児クラスのごはんの後は床が地獄




まだまだありそう。

◯子は世の中で育てる

『子育て』といえば
どんなイメージが湧くでしょう?

「我が子を育てること」
「両親の義務と責任」
「成長を見守ること」
「立派に世に出すこと」
「親が子に育てられること」
「子は親を選べない」

人それぞれいろいろな考えがあって
そのどれもが正解だと思います。



でも
私が思う『子育て』は
少なからず
実の親が実の子を育てることが
全てではないと思っています。


・祖父母にお世話されて育つ子
・親戚や知り合いのもとで育つ子
・地域の見守りの中で育つ子
・保育園に預けられて育つ子
・養護施設の仲間と育つ子
・養子となり別の家庭で育つ子


世の中にはいろいろな形で
両親以外に育てられる子がいます。




大袈裟に言えば
『子育て』は
親の責任ではありません。

『子育て』は
世の中全体で
子どもを守っていくことです。


「私には子どもがいない」
「僕は子どもが嫌いだ」
そんな方もたくさんいるでしょう。


でも
どんな人でもできる些細なことが
『子育て』を支えられるのです。

歩きタバコをしないこと
・優先席、優先トイレを譲ること
・スーパーで泣いている子を許すこと
・横断歩道での停止や、歩行者優先を守ること
・迷子になっている子に声をかけること

そんな当たり前の行動が
誰にでもできる
『子育て』の一環なのです。



そして
世のお父さんお母さんたちには
頭の片隅に思っていてほしい。

『子育て』は
誰かに頼っていいものだと。


家族や知人に頼ってもいい。
保育園や幼稚園に頼ってもいい。
地域のサービスに頼ってもいい。

お父さんお母さんだけが頑張りすぎて
笑顔を失うことがないように
世の中全体でサポートしたい。



子どもたちにも伝えたい。

あなたを守り、育ててくれるのは
お父さんお母さんだけじゃないよ。

お父さんお母さんが苦しいとき
お父さんお母さんが怖いとき

あなたにはちゃんと
居場所があるんだよ。


そして必ず
お父さんお母さんは
あなたのことを愛しているよ。




孤独に苦しむ親と
虐待に苦しむ子が
一人でも減るように

私は伝えていきたいです。

◯5/31 配信「保育士」

「保育士の給料は安い」

誰もが口を揃えて言います。


それは何度か処遇改善がなされても

未だ平均値を遥か下回る支給額なのです。



「仕事量と対価が見合っていない!」

「ひとの命を預かっているのに!」

サービス残業も果てしない!」

「コロナ禍で医療従事者並みに働いた!」


と、いくら叫んでも

世間にはなかなか響きません。




私は思いました。


「給料を上げろ」「税金無駄遣いするな」

「仕事が多すぎる」「ブラックな職場ばかり」


などと、ただ不満を連ねるより


「保育士はただ子どもと遊ぶだけではない」

「子どもが好きなだけで働いていない」

「保育士の仕事は世間に知られていないような

あんなことやこんなことも請け負う

とても尊い職業なんだ」


ということを

仕事内容を丁寧に言葉化して

アピールするほうが良いのでは…




そもそも保育士は

奉仕型で謙虚なひとが多いのです。


だからいくら給料が安くても

仕事量が多くても


その仕事を志す学生はたくさんいます。




世の保育士さん・保育士のたまごちゃん


「私には保育士くらいしかできないから」

「保育士は誰でもなれるよ」

「どうせ保育士だからね」


なんて発言は

今日をもってやめましょう!!




保育士は、

誰もがなれる職業ではありません。


保育士は、

毎日子どもの笑顔で溢れる

キラキラした仕事ではありません。


保育士は、

病気をしても

恋人と別れても

家族を亡くしても

笑って仕事をしています。




そんな私たちを

ここまで頑張っている私たちを

自分の手でよしよししてあげましょう。


すごくすごく頑張ってる。




誰かや何かのために

報酬をもらってする仕事は

必ず価値があることです。



謙虚な日本人ひとりひとりが

自分の仕事を誇りに思い

それを言葉にできることで

お互いがお互いを

尊重し合えると思います。



私の生活は

こんなにたくさんのひとのお陰で

成り立っているんだな。


こんな仕事をしてくれているひと

とっても素敵だな。


と、思いながら生きることは

心が豊かになると思います。




今日もどこかで何かのために

お仕事をしてくれてる方へ


いつもありがとうございます。