あなたとわたしを守るため

しゃけのかわと申します。シングルマザー/保育士(兼学童)/帰国子女/躁鬱×ボーダー/元夜職/ジシ遺族。ブログの記事は ◇→私の記録、◯→保育士の思い、★→その他 という分類で書いています。

双極性障害(躁鬱病) 後編

気分によって思考や行動が極端に変わる双極性障害

私の身体にもさまざまな変化が現れるのですが、特に気になる謎の症状が二つあります。


一つは、抑鬱状態のときに発症する「食道のあたりの違和感」

喉ではなく、胃でもなく、ちょうど鎖骨の下あたりの管が焼けるように痛むのです。

「咽喉頭異常感症」という病気に近いのかもしれませんが、私の場合は位置と痛み方が違います。

酷いときには唾液を飲み込むこともできず(燃えている箇所に油を注ぐイメージ)、夜な夜なお風呂場にしゃがみこんで、唾液を垂れ流していることもあります。

病院でも喉周辺の異常は見られず、ストレスによるものとの診断。

あれほどの痛みがただのストレスとは、到底納得いかないけれど…

※追記:後日「逆流性食道炎」と診断されました。



もう一つは、躁状態のときに起こる「寒さや暑さを感じなくなる現象」

真冬のディズニーシー(ランドよりシーのほうが寒いと言いますよね)での日暮れ時、みんながコートやマフラーを押さえて震えている横で、私は「コート必要かな?」と思うくらい寒さを感じませんでした。

そして帰りの新幹線では、暖房と人の多さで車内の温度は高く、同乗していた友人は若干汗ばんでいたのですが、私はコートを脱ぎ忘れていたにも関わらず、何も暑さを感じませんでした。

これもまた不思議な症状ですが、実際困ることは何もないので、あまり気にしていません。




双極性障害は、その両極端な状態によってあまりにも体質や考え方が変わってしまうため、自分自身が二重人格かのように感じることもあります。


躁のときには、とても行動的で前向き、人にも明るく振る舞い、計画性や実行力もばっちり。

誰彼構わず連絡を取り、SNSでは異常なほど発信を繰り返し、自己アピールが増します。

自分が最高の人間になった気がして、急に夢を語り出したり、大きな挑戦をしようとしたりもします。


鬱になると、何もかもが否定的になり、行動力ややる気は一気に削がれ、ひたすら引きこもります。

誰とも連絡を取らなくなり、SNSなどのツールも抹消、全ての人の前から消えたいと思うようになります。

自分がなんの価値もない人間な気がして「死にたい」よりも「どうやって死のうか」などと本気で考えるようになります。




恋愛においては、

躁のときはあまり人に執着しないので、妙に好かれることが多いけど、こちらからお断り。

鬱のときは、こちらが依存しすぎるせいで関係悪化、お別れ。

そして相手にも、躁の一面、鬱の一面どちらかしかわかってもらえない場合、必ず反転したときに「え?思ってたんとちゃう」となり、終了。

そのため、いつも交際は長く続かず、恋愛するタイミングが掴めないなぁと思う今日この頃です。




このように、自分の両極端な人格に振り回されてきた人生ですが、そのお陰か、いろいろな人の考えに寄り添えるようになりました。

いつかこの経験を生かして、困っている人をサポートする仕事ができたら…

そのために、まずは自分自身の治療に専念することを決めました。

今日の私と冬至

2週間前にお薬を変えたせいか、しばらく躁モード全開で負荷がかかりすぎていたせいか、先週末からドン鬱に突入している私です。

神田沙也加ちゃんのニュースに「子どもがいなければいつでも死ねるなぁ」と不謹慎なことを本気で考え、
夜はアルコールを控えられず、
朝は動悸と震えと胃痛に悩まされ、
仕事に出られず、娘を保育園へも連れて行けず、
ひたすら家にこもり、最低限の生活を守るのに必死でした。

いよいよ限界に達すると、何もなくても涙が出てくるようになり、あまりに無気力で、水を飲んだりトイレに行くのすら億劫になってきます。


そんなとき、いつも無言のSOSを察してくれるのは、私のたった一人の弟。

在宅ワークの彼は、結婚を機に東京から松本へ引っ越したのですが、離婚のときや姉のピンチにはいつも一番に駆けつけてくれる救世主です。

そんな彼が昨晩電話で私の状況を知り、夜通し車を飛ばして我が家に来てくれたのです。


朝にはいくらを保育園へ送ってくれ、仕事がひと段落すると、ベッドから出てこない私を無理やり外に連れ出してくれ、一緒にランチして、また私を寝かせてくれました。

おかげで半年ぶりくらいにぐっすり睡眠がとれ、気付いたら13時間くらい寝ていました。


夕方いくらのお迎えと買い物にも車を出してくれ、いくらとお風呂を済ませ、私には一人でゆっくりお風呂に入る時間を与えてくれました。

今、お風呂からこのブログを書いています。

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今日は冬至

湯舟に柚子を浮かべ、キャンドルを炊いて、音楽を聴きながら浸かるお風呂は、一人の趣味がない私にとっても癒しの時間。


弟には感謝しかありません。



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南瓜は、いとこ煮なんかを作れる自信がなかったので、ポタージュにしてみました。


娘も私も、そして大好きな弟も、この冬を健康に乗り越えられますように。





明日は、1週間ぶりに出勤したい。


働きたい。

嬉しいときは悲しいとき

母がいなくなってから、いつも辛くなる瞬間があります。

それは「最高に嬉しくて幸せなとき」です。


結婚したときも、妊娠がわかったときも、娘が生まれたときも、成長を見せてくれたときも…

一番に報告したくて、そばで見ていて欲しかった母がいないことは、私にとってすごく寂しいのです。


しんどいとき、苦しいときに、母を頼れないことはどうってことない。


苦労や心配ばかりかけた母に、せめて自分が幸せに過ごしているところを見せたかった。


ママ、見ていてくれてるかなぁ

境界性パーソナリティ障害(ボーダー)

私が診断を受けたのは「双極性障害」ですが、境界性パーソナリティ障害」においても、片足どころか腰くらいまで浸かってて、いくつも当てはまる項目があるのを自覚しています。


その中でも突出しているのが、親しい人に対して「自分のことを全て理解して、受け止めて欲しい」と思っているところ、或いは「相手のことを全て理解して受け止めたい」と思っているところです。

この考え方は「共依存」を招きやすく、本来人にはそれぞれ別の人格があるのに、常に一色単にしたいと思ってしまう癖があります。

自分の気持ちは相手の気持ち、相手の気持ちは自分の気持ち、という、自他の価値観を混同させてしまう考えが固執しているのです。



私には、躁と鬱の両極面があるように、過ごしてきた背景にも二面性があります。

・海外生活も含め、両親に丁寧に育ててもらった「お嬢様気取り」の一面

・自暴自棄になり全てを捨てて夜の世界に飛び込んだ「崖っぷちほぼ無心」の一面
(※夜の世界を否定しているわけではありません。夜時代のことはまた別記事に書きます)

私はこの両面を理解してくれる人、それ以上に、同じようにてっぺんもどん底も経験している人でないと、心を開けないと思っています。

どちらかしか理解してくれない人→全てを共有できない→信頼関係を築けないという認識です。



「趣味」がないことも、もしかするとボーダーに関係しているのでしょうか。
私には、一人で楽しめることが何もないのです。

一人で映画は観ません。一緒に観て、感動を共有できない限り。

一人で料理はしません。一緒に食べて美味しさを共有できない限り。

旅行も、ファッションも、音楽も、カフェも、ドライブも・・・誰かと一緒でないと、楽しいと思えない。

だから必要以上に人に求めることが多くて、必要以上に自分を押し付けてしまう。

同じような言葉を繰り返しますが「自分と他人が一体になること」を望んでいるのです。



主治医曰く「たしかにボーダーの気質は持ち合わせているけど、近頃はあまりボーダーと診断をつけることが少ない」とのこと。

なので、診断は受けていません。

今は躁鬱の治療に専念し、それでも生きづらさが変わらない時は、ボーダーに対しても向き合っていきたいです。



インスタグラムで自身のボーダーを公言している、イラストレーターのpiyoさんが、まさに私と同様の症状をわかりやすい漫画にして投稿されています。

最後にそちらのリンクを貼らせて頂きます。




ボーダーについては、躁鬱以上にまだまだまだまだ語り足りませんね。

神田沙也加さんの訃報

ニュースを知った瞬間、全身に鳥肌が立ち、一瞬息の仕方もわからなくなりました。


日本中がショックを受けるほど有名な方だからこそ、こうして改めて考えさせられますが、

今もどこかでこの寒空の下、みずから命を絶ってしまう人がいるのです。


私もかつて、それを望んだ一人でした。

そして、もしかすると今後も頭をよぎることがあるかもしれない。


なぜなら、鬱病双極性障害は「こころの病気」ではなく「脳の病気」と考えられているから。

そしてそれは、多少なりとも「遺伝」してしまうから。

(現在私が通っているクリニックでの説明より)


それを断ち切るために、私は治療を続けながら、こうしてこの病気を発信していこうと決めたのです。

自分と、自分と同じ葛藤を抱く人が、みずから命を落とさなくて済むように…



娘がいる以上、私は責任を持って生きる。

生きるというのは、死なないということ。


でも、この病気は、脳がそうさせてくれないこともあります。

生まれつきの脳の作りは、簡単に自分で変えられるものではないのです。


目の見えない人、耳の聞こえない人、脚のない人のように、明らかにわかる病気ではないけれど、生きづらいハンデを背負っているのは同じ。


「こう考えたほうがいいよ」と言われても、単純にその思考になれないのがこの病気の苦しいところ。


母も、その苦しさを背負って、この世からいなくなってしまいました。

その遺伝子を持ち合わせているのが、私です。


いずれにせよ、いまだにこの病気については、私自身も受け入れることができずにいます。


ただ、この病気のおかげで知れたこと、経験できたことがあるのも事実です。




神田沙也加さん、

綺麗で、謙虚で、才能があって、ご両親譲りのオーラがあって、ご両親にはない儚さがあって…

本当に、素敵な方でした。

本当に「アナ」そのものな方でした。


やっと、楽になれましたか?

もう、何も抱えずに、ゆっくり休んでください。

たくさんの人の心を満たしてくれて、ありがとうございます。


ご冥福をお祈りいたします。

双極性障害(躁鬱病) 前編

(スマホのメモ帳に残していたこと)



自己顕示欲と承認欲求の塊の私が、この度ブログを始めました。


病気を知ってもらうために、

同じ境遇の人と一緒に前を向けるように、

自分自身を見つめ直せるように、

少しずつ書いていこうと思います。


初ブログはかなり長くなっておりますが、お付き合いください。



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私がこの病気を発症したのは、16歳の頃。



父の転勤で海外生活をしたり、習い事や塾通いでそこそこの成績だった義務教育時代。


高校は、東大生・京大生も輩出している、地元の有名進学校へ入学しました。


自立と自由がモットーだった高校は、明るく華やかで、ガリ勉とはかけ離れた校風でしたが、私はそこで挫折を知るのです。



夢も目標もなかったその頃は、急に周りが自分よりできる子ばかり、成績は常に最下位を低迷、当たり前に100点をとれていたテストは0点をとらないことに必死になり、急に自分がいるべき場所ではないと思うようになりました。


次第に学校から足は遠のき、地元のやんちゃな友だちと連むようになると、夜遊びや非行に走り始めます。


家にいる時間はほとんど寝たきり、飲まず食わず、トイレにもいかない日が続いていました。



とはいえ、丁寧で器の大きい両親のおかげで、保育園のボランティア、カフェのアルバイト、再びの海外生活などを経験させてもらい、月日を重ねて徐々に本来の自分のエネルギーを取り戻していきました。



通院(投薬)治療とカウンセリングも続けて、無事大検を取り専門学校に入学するまで、約4年。


健康な時期もあったけど、大半をベッドの上で過ごした4年間。


これが私の最初の鬱期でした。





二度目の鬱期は、24歳の頃にやってきます。



闘病中の母と、3年ぶりに同居することになったのですが、これがなかなかに困難でした。


新卒で勤めた職場は厳しく、疲労困憊で帰宅する私には、弱っている母と向き合う余裕がありませんでした。


母は3度の大きな手術を経て後遺症が残ってしまったので、娘のために何もできず、葛藤して苦しんでいました。


その頃はお互いの心が極限で、夜になると包丁を振りかざし合っていたことも鮮明に思い出されます。



そしてその夏、ついに母はみずから命を絶ってしまうのです。



私にとって一番完璧な、最高の母親は、病によって心身共に蝕まれていました。


家族全員が自分自身を責め、大好きだった母が突然いなくなってしまったことを認められず、悲しみのどん底に落ちます。


それぞれが離れたところに暮らしていたため、家族もバラバラになっていくように感じました。



そこから数年間、私は夜の世界に身を投じて、二度目の鬱期を過ごします。





三度目の鬱期は、29歳。



無事に昼夜二足の草鞋から、昼の保育士一本になり、最愛の夫と国際結婚、そして娘を妊娠出産して、幸せ絶頂だった日々も束の間。


3年間の辛抱ののち、夫と離婚することになり、依存気質だった私は一気に転落の道を辿ります。



借金、ギャンブル、虚言癖、DV…


他人が聞くと最低な事実でも、家事育児に協力的で、娘を愛していて、何よりこんな私を認めてくれる夫は、私にとって唯一無二の存在でした。



その頃ちょうど父親も再婚し、弟も結婚したので、家族には迷惑をかけまいと、私は夫と何があっても離れない覚悟でいたのです。



何より娘はパパが大好きでした。

娘からパパを奪うことは罪だと思っていました。


仮面夫婦を装い、それでも、夫を愛していたのは事実だったので、結婚生活は辛くても笑顔の多い日々でした。



ところがある日、知らず知らずストレスが溢れかえった私は、娘の保育園で突然倒れ、何も変わらない夫に限界を感じ、離婚を決断することになります。


絶対に、なにがなんでも避けたい決断でしたが、これ以上彼にしがみつくことは、自分も娘も守れないことを知ったのです。


最終的には、松本に住む弟が駆けつけてくれて、静かに夫を追い出してくれました。





三度の大きな鬱の間は「躁」と「寛解」と「プチ鬱」を繰り返していたわけですが、時に「躁」は鬱よりも恐ろしいことを知ります。



高校時代の躁期には、無免許で高速を飛ばし、


専門時代の躁期には、一晩で何十万も浪費し、


直近の躁期では、1日の平均睡眠が23時間になり、会ったこともない人に突然飛行機で会いに行ったりする



そんな突発的で衝動的な行動を起こしていました。


自傷行為OD、自殺未遂があったのも躁期です。




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私の場合で現れた躁と鬱には、以下のような症状がありました。




躁状態


1日の睡眠時間が平均23時間でも疲れを感じず、毎日仕事もこなす


1日何時間もSNSに費やして発信を繰り返したり、何時間も動画配信をしたりする


・一度に何人もの相手とLINEや通話でやりとりする


・自分の過去や将来の夢を不特定多数に必要以上に話す


・突然会ったこともない人に飛行機で他県まで会いに行く


・無◯許で高速を暴走(高校時代)


・1日で1ヶ月分のお給料以上の浪費


・異性関係が荒れる




鬱状態


・仕事に行けなくなる


1日中横になったまま何もしない


・食べない、飲まない、トイレにも行かない


・夜眠れなくなる


・昼間に4時間以上寝てしまう


・お酒の飲みすぎ


・飲みすぎた後は、吐くほど食べたり、吐くほど喫煙したりする


・動悸やめまい、息苦しさ、震えを感じる


・不安と焦燥感でパニックになる


・家族友だち職場に申し訳なくなって消えたくなる


・死にたくなる




このような状態を数年おきに交互に繰り返していたのですが、最近は1ヶ月の間でも躁鬱が入れ替わり、身も心も混乱…


生活に支障をきたすレベルのラピッドサイクルに突入しているのです。




(後編へつづく)